ブログをご覧の皆様、こんにちは。
めだかっこです。
私は2022年現在、中学2年生になる息子が居ります。
SNSでは、息子のことを、「ジュニア」と呼んでいます。
ジュニアは、発達に少々凸凹のある子どもでして、二人三脚で現在まで生きてきました。
以前から、Twitterのフォロワー様からのリクエストが多数ありましたので、数回に分けて、私とジュニアのストーリーを記事にしていきたいと思います。
今回は「誕生編」となります。
どんなお話なのか…
読み進めてみてください♪
「めだかっことジュニアのストーリー!」誕生の時♪
ジュニアは、2008年の冬、41週と2日。
予定日を11日超過して、私のお腹から出てきました。
予定日超過だけでなく、他にも色々と壁があり、帝王切開での出産。
身長49.5㎝、体重3744gの元気な男の子。
帝王切開のため、9日間の入院になり、その間にも問題なく大きくなっていました。
訳あって、退院した翌日より、私は事実上シングルマザーとなることに…
この子は私の命の恩人、これからは私が一生かけてこの子を護り抜く。
決意の瞬間となりました。
「めだかっことジュニアのストーリー!」ママの異変…
事実上のシングルマザーになってから、約半年。
弁護士さんにお世話になり、調停により離婚が成立しました。
産後でホルモンバランスが不安定な時期。
ここに、離婚に至るまでにかなり精神的に追い詰められた私が居ました。
実家に住んでいたので、私の母に頼りながら、ジュニアのお世話をする毎日。
その時を私なりに必死で生きていました。
自分が思うより、精神的なダメージが酷く、気づいた時には、家の外に出ることが怖くなり、車の運転はできなくなり、世間全てが怖い、不安…
こんな状況で、心療内科へお世話になりました。
診断結果は…「強迫性障害」と言われ、これからどうしていけば良いのか先が見えなくなっていたのです。
ことばでの表現が難しいのですが、ジュニアが居てくれたから、私という人間が成立していた時期でした。
「めだかっことジュニアのストーリー!」みんなと違うと感じた時
メンタル不調がありながらではあるものの、ジュニアと過ごす毎日は楽しく、幸せでした。
外出することが怖くなっていたので、心配してくれた友達が会いに来てくれたり、電話をくれたり。
そうこうしているうちに迎えた、8か月検診。
保健センターで指摘されたことが…
「お母さんが不安定だから、お子さんの発達にも問題がありますね。」
このような内容であったと記憶しています。
確かに、8か月で発語全くなし、指示されたことができない、など、集団でも目立った子どもでした。
しかし、これが母親のメンタル不調と結びつけることはいかがなものか…
教科書通りに発達する子どもばかりでないことは、大学で児童心理学を学んだ私は理解していました。
ここで、指摘した職員さんに、「二度とこちらではお世話になりませんので。」と言い残し、検診会場を後にしました。
現場では、イライラから冷静な判断ができなかった私。
しかし、帰宅後、振り返りってみて、何か分からないけれどジュニアがどこか違うと気づくのです。
「めだかっことジュニアのストーリー!」診断の時
この検診を境に、自分の学んできた知識を頭の中で整理したり、発達について詳しい方に相談したりする日々が始まりました。
ここで、児童福祉センターの存在を知り、さっそく、発達について深く調べるためのテストの予約を。
これがなんと、2歳になってから。
そして、テストと問診の結果、「自閉症スペクトラム」と確定。
数年待ちの間、幼稚園のプレクラスに通い始めたり、私が仕事をはじめたり、生活の環境は変化していました。
診断名がついた、この時は先が見えない恐怖から、「こんな身体に産んでしまってごめんね」と思い詰める毎日。
文献や実習では、学んでいたので知識はある私でしたが、我が子に診断名がつくというこの状況。
平常心ではいられませんでした。
しかし、沈んでばかりもいられない。
「この子の親は私だけ‼やるしかない!」
気持ちを無理やり切り替えて、発達障害と診断されたジュニアとの歩みが始まりました。
「めだかっことジュニアのストーリー!」誕生編【まとめ】
今回は、ジュニアが診断された時までの流れを、お伝えできる範囲で書きました。
思い出したら、「めだかっこ、良く生きてたなぁ‼」と自分を褒めたいほど、当時の悲惨な生活の記憶が蘇ってきました。
「今、笑えているから、それはそれでいいやん♪」と言えるようになるまでには、試練がこれからも続きます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
【ママの歩み②】は、また、話したい時に書きます。
あまり自慢できる内容ではないし、今の私であってもココロへの負担が大きくなりますので。
では、次回ブログでまた、お会いしましょう♪
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